策楽なつき

お空の果てから電波を飛ばしています

かけないっ!!!!!時はこうやって自語り!それをいつかの私に調理を頼む

 「書けない」に気がついたのは2年前。なぜか何も思い浮かばなくなった。書きたいものは溢れているのにどうしても物語が続かないのだ。登場人物が壁に遮られた時、私は何もできなかった。それは「その時」の私が「乗り越え方を知らなかった」だけかもしれないし、彼女らを道連れにしたかったのかもしれない。1人は寂しいから。寂しいから君に頼るしかなかった。本当に申し訳がないと思っている。そのせいで彼ら彼女らは私の思い出の中で時間が止まったまま佇んでいる。プロットだけが溜まっていって、それを何もしないままその道標をなかったことにした。でも確かにいくばくか昔は本気だったのだ。本気で文学で誰かの心を揺さぶりたかったのだ。私にはそれしかないのに。予兆は出ていた。誰かが不幸になる物語しか書けなくなっていたのだ。あの時に諦めていればよかったなんてひとりごちてみる。

 書けなくなった今。なぜか寂しさが押し寄せてきていて、どうしたらいいかがわからなくなった。今更書くのもどこか情けない気がするし、書きたいものも見つからない。他人の文学の批評を書いてみた時、自分の文学の空っぽさに気づいてしまった。気付きたくなかった現実を。かつての文豪たち、好きな小説家のようになれない自分がひどく醜く感じた。ひたすら書き続け、努力しているという文字数を、時間を、すごく勉強をした後にふと小指の裏を見た時の気持ちに重ねていた。どれだけ文字を増やしてみても、どれだけ時間をかけてみても、どこか違うことがすごく、すごく惨めに思えた。その惨めな気持ちを打ち払うために何か書ければよかった。「書けなくなった私には」その言葉で書けない私を守ってみた。守りの姿勢を崩せない私には、攻めの姿勢をすることに時間を要するだろう。それは現実とかいう非現実的なものに立ち向かう勇気がないからだ。私は弱い。そんなこと、とうの昔に知っていたはずなのだ。でも、まだ、少しばかりの文学という武器を持ち強くなった気でいたい。それは許されないことなのだろうか。

 ある程度、私のことを好きだと言ってくれる人がいて、面白いと言ってくれる人がいて、でも、その褒め言葉は私の文学についての褒め言葉でないことが私をますます堕落させていくのだろう。その堕落でまた私は書けなくなっていく。のかもしれない。

 

 夢があるんだ。私、いつかまた書けるようになったら、小説を書けなくなった小説家が書けるようになるまでの物語を書きたいんだ。そのために頑張りたい気持ちとスランプから抜け出せないのでどうしようの気持ちが非常に強い。こういうのも残しておいたらいつか私がどこかで言葉を使ってくれるかもしれない。一応共有がてら残しておこうね。