策楽なつき

お空の果てから電波を飛ばしています

Vtuberで言葉を考える。

 Vtuberとかいうのが最近のブームなので配信挨拶を言語の観点から見直していきたい。ちなみに寝る前の暇つぶしなので途中で眠くなり、支離滅裂な文章になる可能性があることもご了承願いたい。

 

 私が考えてぇ!と思うのは、先ほども述べたように配信挨拶についてだ。私としても、日本語学にそこまで詳しいわけではないので、ごく稀に虚構が入り混じっている可能性が非常に高い。下手の横好き程度に視覚で捉えてもらえれば幸いに思う。

 

 Vtuberである彼ら彼女らはいわゆるキャラクタ、所謂二次元の存在である。そのため現実世界では人間としての営みを続けているだろう。だが、彼女らの発している言語は果たして現実世界でも使われているだろうか。一般的なVtuberの挨拶は「こん〇〇」というものが多い(一部例外あり)。配信の終わりは「おつ〇〇」という言葉が発せられる(一部例外あり)。Vtuberは活動している間は獣であろうが、幽霊であろうが、魔法使いであろうが、活動という枠組みから外れれば人間で、人間同士の社会で生活するのだろう。その際に自分が配信で用いている言葉を次元を超えて持ち越さないはずである。配信挨拶は特定のコミュニティやファンベース内でのみ理解されるものであり、これは、Vtuberが独自のキャラクターを演じているためだからだ。インターネット上の特定の文化において、次元の持ち越しは本来行われてはならない。それは一部界隈でのみ使用され、意味が通じるものであり、わたしたちが生きている社会では伝わらないことが多いからである。

 これは、いわば、一部地域にのみ通づる方言のようなものである。だが、方言とは少し違う。この方言のようなもの(配信挨拶)は一歩地域を出れば通じないことが多い。インターネット上の特定の文化やコミュニティのみ使われる。活動年数にもよるが、方言のように長い年月をかけ、着実に浸透するわけではない。配信挨拶は年月が経たない言葉であり、方言のように誰かが言った言葉が派生しているわけでもない。長年連れ添った方言はある程度標準語になおし用いることが可能である。だが、特定のコミュニティ内でのみ用いられる配信挨拶は、長年、居ればいるほど当たり前に「用いざるを得ない」ものであり、そのコミュニティにいる以上は半強制的に使わなければならないものだ。

配信挨拶自体はなんだっていいわけだ。「こん〇〇」の中に入るものは、苗字からとってくるかもしれないし、名前からとってくるかもしれない。なんだっていい。その中でVtuberという活動者はひとつを選んで皆に新たな言葉として挨拶を教える。挨拶のほかに語録やその枠独自の営みの中できっとまた新たに言葉を生み出し、言葉を教え、枠で当たり前に使われるようになる。そのような挨拶は、極めて個性的で独創的な表現を含んでいる。それは、一般的な言語構造から外れる。Vtuberが視聴者とのコミュニケーションをより鮮やかにするために行われるだけの言葉であり、非常に恣意的なものであるように感じた。