策楽なつき

お空の果てから電波を飛ばしています

サボり

 サボりです。本業から少し離れた。やらなければならないことはわかっているのだがどうしてもやる気というものが出なくて。どうしようなんて思っている。この感情がずっと付き纏っている。動画サイトや配信サイトで遊んでいる。こうやって電波で遊びまくっているからチキュウジンに置いていかれるのだ。ただでさえチキュウのことを知らないのに。

 ただいま午前5時。睡眠薬というものを飲まなかったため、目がすごく冴えている。昨日は睡眠薬なしで2時間くらいお昼寝?お夕寝?してしまった。良いことなんだろうけど。成功体験があると大丈夫に思えてしまうのが動物というものだと知ったので、なんか大丈夫な気がしてズルズル起き続けてしまった。三連休というものの初日。今日、明日でどうにかしたら大丈夫。なはずだと信じたい。眠たくなると噂の花粉の薬を飲んだからいい感じに効いてくれたら眠れる気がする。という気持ちがあるのもひとつの原因なのやもしれない。昔を思い出す。なんとなく反抗してみたくなって、睡眠、食事をおろそかにした。食欲は3日くらい食べなければお腹は空かないし、睡眠は取らなくてもそこそこ死なないことがわかった。これを知れたことは私の人生に大きな利益と損失をもたらした。利益としては何となくで生きていけること。食事を1日取らなくても特にストレスではないし、眠れないことに対しても40時間くらい起きていても大丈夫なことを知れた。損失としては、人間さんとの話がわからなくなった。「ご飯をしっかり食べないと〜」「しっかり寝ないと〜」なんて言葉がしっくりこないのだ。別に生きていけるじゃん。寧ろご飯に関しては食べない方が節約になっていいじゃん。ご飯を食べられないことに対して何も思わないので、ご飯を買うお金やご飯を準備しておきながら時間がなくて食べられないことで嫌悪感を抱かない。そのため人間さんとのズレを感じる。

 (昔、そんな生活をしていたことを話したことがある。その時、「寿命の前借りじゃん」と言われた。この言葉を何気に気に入っている。私は異星人だからこれができるのであって人間さんがこれをやると本格的に「寿命の前借り」になるのでやるんじゃねぇぞ!フリとかではなくガチで!)

 そんな私でも、予定がある時は眠れないことに対してちょこっとイライラする。クマが出来ていたらやっぱりビジュアル的に良くないし?ちゃんと見た目くらいは気にするし。雌?オンナノコだし?そんなこと考えちゃうんだ。もしかしたらのもしかしたら、途中で眠くなっちゃうかもしれない。試験前とかはキオクのテイチャク的なアレで寝た方がいいんだろうなぁなんて思うんだよね。どうなんだろう。あんまりチキュウのことわからんのでどうしたら良いか......。むずむず〜かしかし〜だね。

 チキュウの楽しさすら忘れてしまう気がした。やらなければいけないことを思い出してムズムズしてしまった。でも、書くことをやめてしまったら向き合わないといけない。それが嫌だからどうかこの時間を引き伸ばそうと何か書くことはないかと探してしまう。やりたくないから書くことに逃げたのに。現実ぅ。朝日が差し込む。どうしよう。昨日が終わっちゃった。もう、戻らないといけない時間か。書くネタも尽きたし、今日は逃げたくなって2本の散文とひとつの日記を綴った。本気で嫌なんだろうな。w足しは、ただの先延ばしであることくらいわかっている。何かを伝えていたら活動していたら許されるんじゃなかって思っちゃった。どうしようね。どうしよう。書くことなくなっちゃった。ちゃんとやらなきゃいけないこと。やってみようと思うよ。またね

【散文】 ラフ 踊り

 

 一体何があったというのだろう。

 ずっと踊っている彼女がいた。そこは独壇場。彼女の場所と呼ばれていた。そんな彼女が死んだ。寂れた思い出。今でも踊っているのではないかとそう幻視した。独自の音楽が幻聴した。いつも聞いたことのない歌に合はせて足音を奏でた。やけに残る音。それが彼女の才能だった。ところで、先ほど彼女が死んだと明記した。事実は違うのかもしれない。葬儀が行はれてゐないのだ。それは『死』と云るのだろうか。

 彼女が踊り場に姿を現はれなくなった前々日。叫び声が聞こえた。幻かと、夢かと、思いたい。彼女の叫び声だったのやもしれない。思ひ出せないのだ。どうしても。彼女の声が。姿は克明に覚へているのに。なぜだろうか。今日も人知れず誰もいない部屋で、手を合はせる。彼女の幸福、若しくは、冥福を。噂の中で死んでいった彼女に。思い出の中にしか存在しない彼女に。

 

 毎週月曜日、木曜日、日曜日。踊り場は賑わっていた。かつての彼女の場所へ足を運んだ。以前は賑はせていた場であったが、誰もいなかった。スカートが風に触れる。石を踏んだ。以前であれば転ぶことはなかっただろう。体幹の衰へた私には困難なものであった。

 かろうじて見へていたはずの目に、石が留まらなかったことに何とも云ない恐れを感じた。少しずつ、命がなくなっていく。それ故に、今日ここに来られたことを悪くはなかったと感じた。私は彼女を愛していた。死んだと思ひたくなくて、記憶を改めた。機能の無くなった耳を、少ししか残っていない身体を、眼を。彼女がゐないのであれば全て必要のないものに思へた。失っても構わない。生きてゐると思ひたかった私の虚言と思って欲しい。

 

 もう残された時間が少ない。どうか聞いてはくれぬか。

 私はかつて、音楽家を志していた。歌だけでは食ふてはいけなかった。私は元々、体を動かすことが好きであった。身体を動かし、そのリズムに合せながら曲を考える日もあった。少しでも自分の音楽をよく見せようと思ひ、踊りを行うことを決意した。

 気がつくと歌うことを曲を作ることすらやめていた。一つ、創作家としての死であった。だが、耳は聞こえた。身体を動かすことはできた。

 とある時、踊りの日の前々日。衣装を買いに行った。その際、階段の踊り場へ身体が堕ちた。痛みが全身に走った。住処へは帰れたものの、その夜、明後日の練習をしようと思った。動く度に痛みが走った。叫び声が木霊した。その声はいつしか音になっていた。声すら出せなくなり、この街を出た。ひとりぼっちの舞台から幕を下ろす時が来たのだ。自分の死をきっかりと体験した。

 

 その頃から、私は別の人になっていた。彼女はとてもとても美しかった。黒髪から白髪になった。老化し、醜くなった顔の写る鏡を割った。美しい衣装を雑巾にし、自分の音楽を五線譜に返した。ただ、ただ。それだけだ。

 退屈な時間だった。短くも、儚く息させてくれたこの世に盡をあけて此の噺を終わりにしたいと思う。屍になり、骨になり、風化した私を、彼女を、どうかどうか看取ることをお許しください。

【散文】 ラフ1

 「こんなのってきっと正しくない」 

 彼女はいった。この世の悪という悪を嫌ってしまう彼女だからこその発言だったのだろう。彼女の服から香るタバコの匂いがこの世の正しさの倫理観を変えていた。

 

 「このまま二人でどこかに行ってしまおうか?」
 僕は言葉を飲み込んだ。ここで彼女とどこかに行けたなら、どんなに素晴らしいだろう。しかしそんな無責任な行動を取れるほど、僕は大人ではなかった。だから僕は黙っていた。彼女もまたそれ以上何も言わなかった。お互いがお互いを理解しているのだから。そういう何気ない自信が僕らを結びつけていた。
「ごめんなさい、もう行かなくちゃ」と言って彼女は立ち上がり「またね」といった。僕は、その手を、引き止めることができなかった。まだそっちへいかないで。なんて淡い期待はあっけなく無くなった。

 どこへ行ったっていないはずの彼女の姿を探してしまう。彼女がいつも纏っていたタバコの匂いがした。香りの方へ目を向けると全く違う人だった。まだ、彼女の姿を探してしまう。そんな消化しきれていない感情を連れ添っている。どこかのJ-popの歌詞みたいだ。こんなことって本当に起こるんだ。だなんてどこか他人事で。もう彼女がいないなんて知っていたのに探してしまうのは、彼女への未練の表れなのだろうか。

 これは夏が終わる少し前のことだった。ただ梅雨のじめじめした空気がどうにも心をけがしていた。彼女がいたらこの天気をどう思うだろう。天気の悪さに幻滅するだろうか。このくらいの天気がちょうどいいだなんて笑うだろうか。天気の話ができるくらい気がおける関係だったことを思い出し、また彼女を探した。彼女が何を思ってここから去ったのかはわからない。

 

 ある日、手紙が届いた。僕宛の、差出人は見たことのない名前。でも、なぜか読まないといけない気がして封を開けた。お世辞にも綺麗とは言えない文字、本来句点があるはずであろう場所に打たれたピリオド、ああ、見たことがある。彼女だ。この不格好さが好きだった。清く正しく生きようとしたこと、僕との何気ない想い出、そして君は幸せになってね.なんて言葉がなぜか胸に残った。僕は、君がいないことが一番、幸せじゃないのに、勝手にいなくなって、勝手に、勝手に。自然と涙が込み上げる。袖が濡れていくのがわかる。君「は」幸せになって。の「は」は彼女が幸せじゃなかった事を意味しているのならそんなの嫌だよなんて言葉も届かないのだろう。届かない言葉をどうしたら伝えられるだろう。

 

 まるで魔法みたいな人だった。正しさを追い求めていた。試験では良い成績を残していたし、世間一般の悪を許さない姿勢でいつつも悪に寄り添っていた。「ちゃんと理解してみたいんだ、悪いことをする人にも何か理由があるはずだから」が彼女の口癖だった。憂いを帯びていることくらい、彼女は分かっていただろう。悪にどう向き合うか分からなくなっていく彼女を見るのはいい気分とは言えなかった。悪に騙されていく姿を見るのはとても胸が痛かった。何か、手を、差し伸べていたつもりだった。きっと僕には理解できない痛みや苦しみがあったのだろう。この世界はすごく残酷だ。何もかもが自分の思い通りになるわけでもないし、努力をしたって叶うわけでもないし、善い人ばかりが得をするわけでもない。この世界に本当の正しさなど存在しない。だが、僕の中では彼女が正解だった。彼女が1+1が0だといえば1+1=0の方程式が出来上がってしまうし、チョコレートが果物だといえばチョコレートという果物を作り出せてしまうのだろう。そんなちっとも正しくないことをこの世界に当てはめてしまう。彼女を作り出せる勇気もなければ、この世界の正解を導ける自信もない。だからずっと彼女を探してしまうのだ。この問いは彼女ならどう捉えるだろう。どう自分の中へ落とし込み、考え、言葉にするのだろう。ああ、こんなに考えて、どうしよう。こんなに想ってどうしよう。まだ知らぬ未来を生きるため。彼女の存在が欲しい。

 

 「このまま、二人でどこかへ行ってしまわないか?」

 彼女は言った。

「君が苦しそうな顔をしているとどうも調子が狂う」

「大丈夫だよ」

 なんて笑ってみせた。ちゃんと笑えていただろうか。

「大丈夫だよ、逃げたって、大丈夫」

 大丈夫だよ。苦しくなんてない。その声は震えていて、でもこの一生懸命なこの言葉だけで立ち直れてしまったのだ。なのに、この言葉を彼女に渡せなかったことが悔しかった。彼女をここに留めておきたかった。留められなかった。君が向こう側に行くなら、笑って僕も行くつもりだったのに。

 

 そんな君は言って、行って、いって、逝ってしまった。

傘を忘れる。そんな日があってもいいじゃないの気分

 通り雨。本当に早く過ぎ去れ〜の気持ちを抱いていると少しだけ濡れる。

 濡れるの嫌いなんだよねから始まるリズムに合わせて風呂が嫌い。

 元々濡れるのが本当に嫌いだった。なんかもじょもじょぺたぺたするじゃん(伝われ)あの感覚がどうも受け付けない。チキュウってすっごく塩素使うよな。肌が弱いからどうしてもかぶれてしまって受け付けないなぁと思っている。プールとお風呂はこれが理由で嫌い。痛いのはなんか我慢ができるんだが痒いのはどうも苦手だ。

 

 まあかれこれ理由がありつつ濡れるのが嫌いな私であるが、やはり、なぜか、どこか雨が降ると心地悪さを感じてしまう。

 小雨。傘を忘れた。壊れたか壊れていないかわからない折り畳み傘は持っているがさす気にはなれない。はてさて、ここで漢字に対して疑問を抱いてしまった。どうしよう。傘を使う時、よく「差す」と使われるが、なんか「差す」って感じじゃないんだよなぁ。なーんて疑問も思い浮かんでしまうくらいに余裕がある。だが、ここで考えるほどの余裕はなかった。あと少しで目的地。別に多少濡れたって構わないだろう。少し急いだ。

 

 雨の降る日は気圧のせいか少しだけ気分が悪い。ベッドに入ると「う〜」とうめき声を上げた。独りきりの部屋で誰にも届かないはずなのに声を上げてしまうのはなんなんだろう。本当によく分からない。こういう時、よく分からないスピリチュアル的何かに頼りたくなって、つい動画サイトで「頭痛 よくなる 音」とかで検索をかけてしまう。薬を飲もうとは思ったが、薬は高いし、副作用が出やすい体質だし、効かないんだよなぁの気持ちで飲むのをやめている。画面の前のみんなはちゃんとお薬飲もうね。よく分からんBGMは微妙に効く。ほぼ無料でやや微妙に効くものでまぁいいだろう。みたいな感じで適当にやり過ごせるくらいの余裕はある。

 

 今日はこんなところで。またね。

 気分が良くなれば傘を差す話もしようね。ずっと気になっていたんだ。

月が綺麗だから

 I love you.を夏目漱石は月が綺麗ですねと訳した。もしも同じ気持ちなら死んでもいいわと告げるらしい。(本当かどうかは知らんが)

 まぁ、私も言われたことがある。それは遊びの一環かもしれないし、本気だったのかもしれない。でも、「死んでもいいわ」なんて答えるのだ。そうしたらどうだろう。なぜか返しが伝わらないのだ。「死なないで」と言われる。いやいや、死ぬわけないじゃない。あ〜伝わんねぇ〜!なんて少し悲しい気持ちになるのはここだけの話。

 でも、月が綺麗だと死にたくなる気持ちが非常に理解できてしまってもどかしい。チキュウ気持ちわる〜。うわぁ〜まじでドン引き〜!みたいなことがあった時に、夜空に月や光の粒があると魅入ってしまう。あの綺麗なものに近づきたくて何処か高いところへ登りたくなってしまう。下を見ると雑多で混沌としていて嫌な世界が広がる。そんな狭くも広くもないところを見下ろしてあ〜私ってこんなところにいるんだぁ。なんて自嘲してしまう。

 ひんやりとした夜風がなんとなく心地よくて、光に群がる虫の気持ちがなんとなくわかってしまう帰り道。こういう時に一首素敵な歌を詠めたらいいんだけど。そう思いながら一歩、「吉」、二歩、「凶」、三歩、「大吉」と足占をする。少しだけ軽くなる足取り。ヒールの音が自然と下駄の音に塗り変わる。こうしてから上を見上げると少しだけ月の顔が変わって、より美しくなった気がする。

 建物も街灯も何もない場所でただ息をして。数秒間息を止めてみたり、その後に思いっきり呼吸をしたら生きていると感じてみたり、ただ頬を濡らしてみたり、口角を上げてみたり、どんなことをしても夜で満月の次の日じゃない限り君にはバレバレで。雑多があるからこそ自分の汚い部分を見なくてもいいのかも。なんて考えてみて。こんなことをしているからいつまで経っても大人になれないんだろうなぁ。照らしすぎる太陽は眩しすぎた。太陽の光のおこぼれのおこぼれをもらうくらいが私には丁度いいのかもしれない。

 

『くらやみの速さはどのくらい』を読んで

 今回は自称考察厨が書く読書感想文です。

 タイトルにもあるとおり、エリザベス・ムーンの『くらやみの速さはどのくらい』を読んでみた感想であったり思ったことであったりをのんびりまったり書いていこうかなぁと思いました。

 そしてガッツリネタバレ含みます。君が読んでいる体で書くので内容は端折る可能性も多いにあります。ご了承お願いしますね。

 

 ざっくりあらすじ〜!!

 主人公のルウは自閉症患者だ。自閉症であっても職には恵まれ、生活も順調であった。ある時、自閉症の治療ができることになり、ルウ含める自閉症患者が今後治療を受けるか否かを決めていく。ルウは元々宇宙飛行士を志望しており、宇宙飛行士になるためには自閉症の治療を行わなくてはならない。みたいな感じ!

 

 主にラストシーン、タイトルについての言及が多くなるであろう。(普段、タイトルから考察してしまう癖が治らない)

 最後、ルウは自閉症を治すことを決意する。私は初めはいい印象を抱かなかった。確かに彼は「健常者」になったが、自閉症を治さなかった友人に会いたいと願いつつ会わない選択を取る。新しい友人に出会いたいという気持ち、成功に通づる賭けをしたいという願いの実現のためには仕方のないことだったのかもしれない。

 彼は後半、デスクでノートを書いており、そのデスクは船にあり、船は宇宙にあると述べられている。彼は宇宙へ行くという夢を叶えたのだと捉えることができよう。これはきっと彼が障害を治したことで見る事ができた一つの大切な夢だったのだ。

 私はその時に記されたことを踏まえ、くらやみ=知る前、光=知った後として捉えることにする。

 彼にはもう一つ夢があった。彼は障害者であった時、光が速度を上げて入ってくる時、そこにある暗闇は光が入ってくるまで未知のものである。だから、知らないこと(暗闇)は知ること(光)の前にやってくるものだと捉える。未来(知らない事)は現在(知る事)の前にやってくるため、過去(知る前・現在の前)と未来(知らない事)は違う方向で同じものになる。だが、ルウは別の方向へ行くため、過去(知る前)と未来(知らない事)とも違う方向へ行く。だがルウが過去(知る前)と未来(知る事)にたどり着くときの光の速さとくらやみの速さは「同じものになる」だろうと仮説を立てた。

 そして障害を治したルウの思う「くらやみの速さ」は自分達が知らない暗闇(知らないこと)がいつだってそこに待っている。いつも光(知ること)よりも先にいる。もし、くらやみ(知らないこと)の速さが光(知ること)よりも早いのであれば、光を追う限りぼくは絶対に終局にたどり着くことができない。自分は知らないことだらけだが未来ではわかるようになるかもしれないとある種希望とも取れる思考を始める。加えて、これからたくさんの質問をしなければならない。と同義と捉えられる発言をしている。

 私はこれにルウが気付けたことを障害が治ったメリットだと考える。確かにルウは障害を治さずとも自身の生活に満足をしていたのだと思う、。だが、新しい知識を得て、自分のずっと追い求めていた答えに辿り着くことができ、宇宙へ行くという夢を叶えられた。知ることは知らないことを追い越した先にある。昔のルウは知ることと知らないことは同時に行われるものだと予測していた。だが、今のルウの考え方は暗闇は光に追いつけないという考え方に変わる。障害を治すことを経験しなければ治した後のことはわからない。ルウは治療を受けたからこそ見えた世界を大切にして今後も生きてほしいと思った。

 

 私は宇宙からやってきたただの雌でしかないが、チキュウのことは相変わらず分からない。だからこそ知識を得ることに貪欲でなければ生きていけないのだ。私はきっとずっと光を追い続けてしまうのだろう。まだまだくらやみで何も見えないからこそ見えるものを楽しんでいる最中だ。名前の知らない花に毒があることを知らずに生活するように、見えなくてもいい薄暗い部分に光を当てないことで美しいと思っていたい。でも、もし、毒があることを知れば、その毒で嫌な思いをする誰かを救えるかもしれない。それはそれで私が学んだ一つの意味として社会に還元していくことを仕事としていく。そんな風にチキュウで遊んでいこうと思う。私は馬鹿みたいに持病を持っているけどチキュウじゃ治せないし、元いた星でも治せないみたいなんだ。どうしようね。本当に。なんて思っていた時にこの本に出会った。

 作中、主人公でない自閉症の子が治さないという選択をする。私も治せるなら治したいけど、今の生活に満足しているし、ルウみたいに病気を治さなければやりたい事ができないよってわけでもないし、そういう病気もひっくるめて私かもなんてカッコつけたことを言ってみる。でもどうなんだろう。治せるよって言われたら治しに行っちゃうのかな。多分だいぶ遠い未来だと思うからちゃんと治せることに安全性とメリットを見出せてから考えるかも。わかんないや。どうせ一度きりの人生だし、病気が治った時の私もちょっと体験してみたいなぁって優柔不断を発動させてみたところで終わろう。

 

かけないっ!!!!!時はこうやって自語り!それをいつかの私に調理を頼む

 「書けない」に気がついたのは2年前。なぜか何も思い浮かばなくなった。書きたいものは溢れているのにどうしても物語が続かないのだ。登場人物が壁に遮られた時、私は何もできなかった。それは「その時」の私が「乗り越え方を知らなかった」だけかもしれないし、彼女らを道連れにしたかったのかもしれない。1人は寂しいから。寂しいから君に頼るしかなかった。本当に申し訳がないと思っている。そのせいで彼ら彼女らは私の思い出の中で時間が止まったまま佇んでいる。プロットだけが溜まっていって、それを何もしないままその道標をなかったことにした。でも確かにいくばくか昔は本気だったのだ。本気で文学で誰かの心を揺さぶりたかったのだ。私にはそれしかないのに。予兆は出ていた。誰かが不幸になる物語しか書けなくなっていたのだ。あの時に諦めていればよかったなんてひとりごちてみる。

 書けなくなった今。なぜか寂しさが押し寄せてきていて、どうしたらいいかがわからなくなった。今更書くのもどこか情けない気がするし、書きたいものも見つからない。他人の文学の批評を書いてみた時、自分の文学の空っぽさに気づいてしまった。気付きたくなかった現実を。かつての文豪たち、好きな小説家のようになれない自分がひどく醜く感じた。ひたすら書き続け、努力しているという文字数を、時間を、すごく勉強をした後にふと小指の裏を見た時の気持ちに重ねていた。どれだけ文字を増やしてみても、どれだけ時間をかけてみても、どこか違うことがすごく、すごく惨めに思えた。その惨めな気持ちを打ち払うために何か書ければよかった。「書けなくなった私には」その言葉で書けない私を守ってみた。守りの姿勢を崩せない私には、攻めの姿勢をすることに時間を要するだろう。それは現実とかいう非現実的なものに立ち向かう勇気がないからだ。私は弱い。そんなこと、とうの昔に知っていたはずなのだ。でも、まだ、少しばかりの文学という武器を持ち強くなった気でいたい。それは許されないことなのだろうか。

 ある程度、私のことを好きだと言ってくれる人がいて、面白いと言ってくれる人がいて、でも、その褒め言葉は私の文学についての褒め言葉でないことが私をますます堕落させていくのだろう。その堕落でまた私は書けなくなっていく。のかもしれない。

 

 夢があるんだ。私、いつかまた書けるようになったら、小説を書けなくなった小説家が書けるようになるまでの物語を書きたいんだ。そのために頑張りたい気持ちとスランプから抜け出せないのでどうしようの気持ちが非常に強い。こういうのも残しておいたらいつか私がどこかで言葉を使ってくれるかもしれない。一応共有がてら残しておこうね。