策楽なつき

お空の果てから電波を飛ばしています

『くらやみの速さはどのくらい』を読んで

 今回は自称考察厨が書く読書感想文です。

 タイトルにもあるとおり、エリザベス・ムーンの『くらやみの速さはどのくらい』を読んでみた感想であったり思ったことであったりをのんびりまったり書いていこうかなぁと思いました。

 そしてガッツリネタバレ含みます。君が読んでいる体で書くので内容は端折る可能性も多いにあります。ご了承お願いしますね。

 

 ざっくりあらすじ〜!!

 主人公のルウは自閉症患者だ。自閉症であっても職には恵まれ、生活も順調であった。ある時、自閉症の治療ができることになり、ルウ含める自閉症患者が今後治療を受けるか否かを決めていく。ルウは元々宇宙飛行士を志望しており、宇宙飛行士になるためには自閉症の治療を行わなくてはならない。みたいな感じ!

 

 主にラストシーン、タイトルについての言及が多くなるであろう。(普段、タイトルから考察してしまう癖が治らない)

 最後、ルウは自閉症を治すことを決意する。私は初めはいい印象を抱かなかった。確かに彼は「健常者」になったが、自閉症を治さなかった友人に会いたいと願いつつ会わない選択を取る。新しい友人に出会いたいという気持ち、成功に通づる賭けをしたいという願いの実現のためには仕方のないことだったのかもしれない。

 彼は後半、デスクでノートを書いており、そのデスクは船にあり、船は宇宙にあると述べられている。彼は宇宙へ行くという夢を叶えたのだと捉えることができよう。これはきっと彼が障害を治したことで見る事ができた一つの大切な夢だったのだ。

 私はその時に記されたことを踏まえ、くらやみ=知る前、光=知った後として捉えることにする。

 彼にはもう一つ夢があった。彼は障害者であった時、光が速度を上げて入ってくる時、そこにある暗闇は光が入ってくるまで未知のものである。だから、知らないこと(暗闇)は知ること(光)の前にやってくるものだと捉える。未来(知らない事)は現在(知る事)の前にやってくるため、過去(知る前・現在の前)と未来(知らない事)は違う方向で同じものになる。だが、ルウは別の方向へ行くため、過去(知る前)と未来(知らない事)とも違う方向へ行く。だがルウが過去(知る前)と未来(知る事)にたどり着くときの光の速さとくらやみの速さは「同じものになる」だろうと仮説を立てた。

 そして障害を治したルウの思う「くらやみの速さ」は自分達が知らない暗闇(知らないこと)がいつだってそこに待っている。いつも光(知ること)よりも先にいる。もし、くらやみ(知らないこと)の速さが光(知ること)よりも早いのであれば、光を追う限りぼくは絶対に終局にたどり着くことができない。自分は知らないことだらけだが未来ではわかるようになるかもしれないとある種希望とも取れる思考を始める。加えて、これからたくさんの質問をしなければならない。と同義と捉えられる発言をしている。

 私はこれにルウが気付けたことを障害が治ったメリットだと考える。確かにルウは障害を治さずとも自身の生活に満足をしていたのだと思う、。だが、新しい知識を得て、自分のずっと追い求めていた答えに辿り着くことができ、宇宙へ行くという夢を叶えられた。知ることは知らないことを追い越した先にある。昔のルウは知ることと知らないことは同時に行われるものだと予測していた。だが、今のルウの考え方は暗闇は光に追いつけないという考え方に変わる。障害を治すことを経験しなければ治した後のことはわからない。ルウは治療を受けたからこそ見えた世界を大切にして今後も生きてほしいと思った。

 

 私は宇宙からやってきたただの雌でしかないが、チキュウのことは相変わらず分からない。だからこそ知識を得ることに貪欲でなければ生きていけないのだ。私はきっとずっと光を追い続けてしまうのだろう。まだまだくらやみで何も見えないからこそ見えるものを楽しんでいる最中だ。名前の知らない花に毒があることを知らずに生活するように、見えなくてもいい薄暗い部分に光を当てないことで美しいと思っていたい。でも、もし、毒があることを知れば、その毒で嫌な思いをする誰かを救えるかもしれない。それはそれで私が学んだ一つの意味として社会に還元していくことを仕事としていく。そんな風にチキュウで遊んでいこうと思う。私は馬鹿みたいに持病を持っているけどチキュウじゃ治せないし、元いた星でも治せないみたいなんだ。どうしようね。本当に。なんて思っていた時にこの本に出会った。

 作中、主人公でない自閉症の子が治さないという選択をする。私も治せるなら治したいけど、今の生活に満足しているし、ルウみたいに病気を治さなければやりたい事ができないよってわけでもないし、そういう病気もひっくるめて私かもなんてカッコつけたことを言ってみる。でもどうなんだろう。治せるよって言われたら治しに行っちゃうのかな。多分だいぶ遠い未来だと思うからちゃんと治せることに安全性とメリットを見出せてから考えるかも。わかんないや。どうせ一度きりの人生だし、病気が治った時の私もちょっと体験してみたいなぁって優柔不断を発動させてみたところで終わろう。