策楽なつき

お空の果てから電波を飛ばしています

ー普遍的に一般的に考えられなかったことについてー

 普通とはなんだろう。そう考えた時、「普通」と言える人のことを一般的に「普通の人」というのだと思った。だから、いやでも、多くの人が経験していると思った時に「普通は」と言えるようにした。そうしたら、近づけると思えた。世の中は変わった。今度は普通の少数の人が「普通」という言葉を使うのをやめようと言い始めた。救われる。そう思った。だが、今までの努力はなんだろう。普通を考えて、普通という言葉を使えるようになった。だのに、こんな結末を迎えるなんて。
 でも自分の知らない価値観や考え方を知ることができたのはとても良かったのかもしれない。そしてそれを普通と言って仕舞えば私がまるで不幸みたいじゃないか。そんなことを認めたくはない。という気持ちが強かった。怖かった。周りが私を普通だというたびになんか違うな。この人とは相性が合わないと思い距離を作ることもあった。特別扱いをしてほしいわけじゃない。ただ、こういう考え方があるということを認めてほしかった。これを「個性」という素晴らしい一言にまとめてくれれば惨めだけど、非常に惨めだけど、よっぽどマシだ。

 

 私は容姿も声も悪くない方だと思う。ちゃんと人並みにナンパをされて痴漢に遭って、だから悪くないと、思いたい。大丈夫だと思いたい。ただの我儘かもしれないし、ただの独りよがりかもしれないけど。

 勉強もまあ可もなく不可もなく。嫌いでもなく、どちらかというと好きな方。学びに向かう力はある模様。

 運動は、本当にダメダメ。走るのも早くないし、跳び箱も飛べないし、水泳に関しては浮くことができない。どうやって浮いてんだよ。ビート板は縦に持ってしまって溺れかけた過去があるため本当に苦手。

 普通にできるでしょなんて言われたらもやもや、怒ってしまう。

 恋愛経験はほぼゼロ。デートに行って、触れ合ってというのが非常に苦手。小説や漫画の中で楽しむから大丈夫。一番は好きと伝えるのが苦手。私は、ただ好きと言われてもどこが?となってしまう自己肯定感低すぎな雌。そして好意を伝えるのも苦手。わかや短歌とかで気持ちを伝えるのは結構できる方。でも、和歌や短歌で想いを伝える人はどうやら少ないらしい。あほ、ばか、一言、「好き」と伝えられればいいんだけどな。それが難しい。そうやって伝える人は少ないらしい。

 友達は少ない方。つい楽しくなって知識自慢がしたくなる。精一杯楽しく伝えているつもりなんだが、雑談中に勉強の話をされるといい気分はしないらしい。わからない。

やっぱり難しくて、苦手で、なんて思う人が多いみたいで、私みたいに楽しんでいる人は少ないみたい。

 

 ちゃんと愛せて愛されるのも、水に浮くことができるのも、縄跳びと跳び箱も飛べるのも、病気がないのも、アレルギーがないのも、何もかもが規範的でないのあれば、嫌になってしまうね。

嫌になってしまう、本当に。平等なんて嘘じゃん。なんて笑えてしまう。努力すればなんて言うけど努力したってできないものはできないし、怖いものは怖いし。嫌なものは嫌だし、急に気持ちなんて変わらないし。きっと普通のレベルが私くらいに落ちたなら、きっと幸せな人が増えるだろうな〜なんていうのをたまに考えちゃう位に規範的から外れちゃったや。いやだね。どうしようね。規範的なそれしか受け入れられない人類がいる以上、私が本気で頑張って成果が出さなかったことすら言い出せなさそうだ。私が怠惰している今にもきっと理由があって、きっと、何かの意味があって。その意味を見出せない私と時間との共存がうまく行ってないだけなのだ。そう言っていつの間にか大人になっていく。それが人間だというならば人間じゃなくてよかったと思う。席があるかは不明だが少なくとも帰る星があって、待っていてくれる人もいて。言うならば逃げ場がある。だが人間が私の星へ来ることは困難を極める。話すこと思い浮かばなくなっちゃったや。またね